【時空を超えて~歴代肖像画1千年】
このページでは、歴史上の肖像画名品を広く紹介しています。肖像画名品の模写の販売は一切行っておりません。
This page only introduces famous portraits. There is no selling of those copies in this site.
作品名: 信長公像 美作国、津山藩主・松平斉民(1814-1891)が自ら収集した中国伝来品の商標や西洋版画の模写、高名な蘭学者の筆跡など資料を貼り込んだ冊子であった。 織田信長の安土城は、1576年から79年の間に築城されたが、その天守閣を飾る 障壁画は、狩野永徳一門によって足掛け5年を費やして完成された。これに 対する織田信長の評価は高く、永徳に「天下一」の称号を与えた。 1581年、永徳と光信は信長に謁見して、褒美を賜っている。このような機会に、信長と永徳や大工の棟梁らが談笑する傍らで、光信が申し出て持参の和紙に筆を走らせ写生することがあったかもしれない。信長の上機嫌の表情がそんな雰囲気をかもし出している。 |
本作品に関するエッセイはこちら ⇒ https://www.shouzou.com/mag/mag1.html
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「信長公像 モエキ上下 空色小袖 (一行不明) 金扇子」
くずし字検索・解析により、筆者は以上のような単語を解読した。モエキ上下とは萌葱色の裃。これらの意味するところは、墨と朱以外持参していない絵師が取った、信長の着衣についての留め書きであり、江戸時代に描かれた永徳作品の模写(下図)の配色と一致する。
〈参考図〉江戸時代の織田信長像 狩野常信(1636-1713)作(愛知県名古屋市中区・総見寺蔵)信長の孫である織田貞置(1617-1705)が発注した。
常信作 信長像拡大 |
『芸海余波』信長像拡大 |
〈参考図〉1803年出版の『桂林漫録』上巻22、24頁より
平信長像
信長ノ像ハ右京光信 公ノ世ニ存セシ時御前ニテ写シタル物ナリトゾ。原図ハ画史何某法印ノ家ニ在。