【一枚の絵の歴史を語らう】
水墨画「サント・ヴィクトワール山」
この絵は2004年の冬に南仏で描いた水墨画で、渡仏したのはちょうどその2箇月前の10月下旬のことであつた。各地で山水画を描き溜め、パリの画廊に持ち込まうと考へてゐた。
拡大図はここをクリック私のモチーフは、厳然として立ちはだかる、確固たる存在感を持つものでなくてはならなかつた。要するにマッス(塊)が描きたかつたのである。それは岩山・山塊でもあり得たし、人物でもあり得た。
フランスの山と云へば、モンブランとサント・ヴィクトワールしか知らなかつた。近代絵画の父、ポール・セザンヌのモチーフを選んだのはゑかきとして自然と云へば自然だらう。セザンヌへのオマージュ(敬意の印)であると同時に又、油絵のサント・ヴィクトワール山は何万何千と描かれてゐるはずだが、水墨画ならば珍しからうといふ計算もあつたのだ。
さういふわけでセザンヌの故郷エクス・アン・プロヴァンスに降り立つたのが11月の1日。ホテルを2日予約して翌日には、早速ル・トロネへと向かつた。
この道路は『セザンヌの道』と呼ばれる霊験あらたかなみちである。ところが100年前と違つてそれは、四輪車が時速7、80キロで行き交ふ歩道なき道で、危険このうへなく、行けども行けども聖山は見えぬ。
命のちぢむ思ひで歩いた末にやうやう一箇所ゑになる場所を見つけたが、イーゼルとイスその他大荷物で通へる気がしなかつた。
3日目にはユースホステルにチェックイン。仏語でオーベル・ド・ジュネス(以後AJと略す)と云ふ安宿で、15ユーロで泊まることが出来た。当時の1ユーロは150円。簡単な朝食付きで2,250円は有難かつた。荷物を預け、観光案内所へ行つた。
案内所は英語が通じるが、バス路線図も地図も英語で書かれてはゐない。迷つたが2種類のペラ地図(3,240円)を買はざるを得なかつた。
4日目、午前中長期滞在用ホテル「シタディンヌ」を下見。午後からバスでサント・ヴィクトワールをめざす。Bimont(ビモン)で降りるとダムの上から山と湖が描ける良いポイントを見つけた。セザンヌの時代にはなかつたかもしれない。
ふと気づいたことだが、一昨日も今朝も蚊がいやに多いのである。到底、落ち着いて描けさうにないので、一旦、別の写生地を求めて北へ向かふこととした。セザンヌも描いたことのあるスイス国境の町アヌシーで、三点の山水画をものしたあと、再びエクスに戻つたのは3週間後のことであつた。